古事記 上巻(天照大神) 天
(あめ)の石屋戸(いわやと) 
作者名  
作品名  古事記
成立年代  
 その他  『日本書紀』巻1 神代上 第7段「天石窟(あまのいはや)」に、ほぼ同様の伝説が載る。
 故(かれ)是に天照大御神(あまてらすおほみかみ)見畏(かしこ)みて、天の石屋戸を開きてさしこもり坐(ま)しき。爾(ここ)に高天(たかま)の原皆暗く、葦原(あしはら)の中国(なかつくに)悉に闇(くら)し。此れに因りて常夜(とこよ)往きき。是に万の神の声は、狭蠅(さばえ)なす満ち、万の妖(わざはひ)悉に発りき。是を以ちて八百万の神、天安(あめのやす)の河原に神集ひて、高御産巣日(たかみむすひ)の神の子、思金(おもひかね)の神に思はしめて、常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かしめて、天安河の河上の天の堅石(かたしは)を取り、天の金山の鉄(まがね)を取りて、鍛人(かぬち)天津麻羅(あまつまら)を求(ま)ぎて、伊斯許理度売(いしこりどめ)の命(みこと)に科(おほ)せて鏡を作らしめ、玉祖(たまのや)の命に科せて、八尺(やさか)の勾璁(まがたま)の五百津(いほつ)の御須麻流(みすまる)の珠を作らしめて、天児屋(あめのこやね)の命、布刀玉(ふとだま)の命を召して、天の香山(あめのかぐやま)の真男鹿(まをしか)の肩を内抜きに抜きて、天の香山の天のははかを取りて、占合(うらな)ひまかなはしめて、天の香山の五百津真賢木(まさかき)を根こじにこじて、上枝(ほつえ)に八尺の勾璁の五百津の御須麻流の玉を取り著け、中枝(なかつえ)に八尺鏡(やたかがみ)を取り懸け、下枝(しずえ)に白丹寸手(しらにきて)、青丹寸手(あをにきて)を取り垂(し)でて、此の種種(くさぐさ)の物は、布刀玉の命、布刀御幣(ふとみてぐら)と取り持ちて、天児屋の命、布刀詔戸言(ふとのりとごと)(ほ)き白(まほ)して、天手力男(あめのたぢからを)の神、戸の掖(わき)に隠り立ちて、天宇受売(あめのうずめ)の命、天の香山の日影を手次(たすき)に懸けて、天の真拆(まさき)を縵(かづら)と為(し)て、天の香山の小竹葉(ささば)を手草(たぐさ)に結ひて、天の石屋戸にうけ伏せて踏みとどろこし、神懸(かむがか)り為て、胸乳を掛き出で裳緒(もひも)を番登(ほと)に忍(お)し垂れき。爾に高天の原動(とよ)みて、八百万の神共に咲(わら)ひき。
 是に天照大御神、怪しと以為
(おも)ほして、天の石屋戸を細めに開きて、内より告(の)りたまひしく、「吾が隠り坐すに因りて、天の原自ら闇く、亦葦原の中国も皆闇けむと以為ふを、何由以(なにのゆゑにか)、天宇受売は楽(あそび)を為、亦八百万の神も諸(もろもろ)咲へる」とのりたまひき。爾に天宇受売白言(まを)ししく、「汝(いまし)命に益して貴き神坐す。故、歓喜(よろこ)び咲ひ楽ぶぞ」とまをしき。如此(かく)(まを)す間に、天児屋の命、布刀玉の命、其の鏡を指し出して、天照大御神に示(み)せ奉る時、天照大御神、愈(いよいよ)(あや)しと思ほして、稍(やや)戸より出でて臨み坐す時に、其の隠り立てりし天手力男の神、其の御手を取りて引き出す即ち、布刀玉の命、尻くめ縄を其の御後(みしり)(へ)に控(ひ)き度(わた)して白言(まを)ししく、「此れより内にな還り入りそ」とまをしき。故、天照大御神、出で坐しし時、高天の原も葦原の中国も、自ら照り明(あか)りき。
 詠いこまれた花   アシ(ヨシ)サカキヒカゲノカズラマサキ(一説にテイカカズラ)、ササ
 
 



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